日本単独歩行記

ただの歩いた記録

日本縦断 103〜106日目
山形県山形市〜月山〜鶴岡市

103〜104日目

月山の麓にある志津野営場まで歩いた。104日目は天気が良く、月山もよく見えた。7月中旬ながら雪渓が多く残っていた。

三連休で人が多いかと思ったがそうでもなかった。どうやら志津側から登る人は少ないようだ。

歩いた距離・52㎞※2日合計

105日目

早朝4時ごろ起床。テントの外は雨で、なかなか強く降っていた。

この日は、月山を越えて反対側の平清水避難小屋まで歩く予定にしていたが、天気も悪いようなので予定を変えることにした。稜線に出てすぐの所にある施薬避難小屋まで歩いて、そこで一泊する事にした。

歩いて2時間そこらで着く距離なので、しばらくテントの中でのんびりした。今、太宰治の「津軽」を読んでいるが、お酒を飲みたくなるような内容で困る。特に今回の山行は、酒を持ってきてないので余計だ。

9時過ぎにキャンプ場を出発。歩き始めてすぐ、登山客を連れたガイドに声をかけられた。こちらの計画を話すと、明日も山頂は天気が良くないですよ、と教えてくれた。親切でありがたいなと思った、が、僕は明日良いお天気になるとふんでいる。

登山道は思っていたよりしっかりと整備されていたので、難なく歩くことができた。避難小屋には11時半頃に到着した。

小屋の中は少し狭く、湿っぽい。屋根のトタンが少し剥がれており、部屋の端のほうが雨漏りで濡れていた。雨漏りが気になるので、室内ではあるがテントを張る事にした。

夜中はねずみの足音を聴きながら、ぐっすり眠った。

106日目

朝5時に起床した。外は霧で真っ白だった。

昨日のガイドさんの予報が当たったのか?と一瞬思ったが、山頂に着く頃には霧は抜けるはず、と信じて準備を始めた。

6時に小屋を出発。昨日はほとんど歩かなかったので、身体の調子は良かった。途中、雪渓を歩く箇所が出てきたが、ノーアイゼンでなんなくクリアできた。

1時間ほど歩いた所でついに霧が抜け始めた。予想が当たったようだ。どんどん霧は晴れて、ようやく月山の山容があらわになった。とても清々しい瞬間である。

登山道の脇で何か動いたような気がした。目を凝らして動いた辺りを見ていると、オコジョがひょこっと顔を出した。あまりの愛らしさに顔が自然と笑ってしまった。見るのはこれで2回目だが、ほんとにかわいすぎる。

8時ごろ山頂小屋に到着。山頂付近は平たく広々としている。眼科にはひたすらの雲海だった。蔵王だけかろうじで見えていた。

ここまで気持ちよく登っていたが、この後残念な登山者の行動を数件目の当たりにしてしまい、下山時はすっかりと興ざめしてしまった。※残念な登山者について詳細をここに書くと、書きながら残念な気持ちになりそうなのでやめることにする。

下山後はそのまま鶴岡市まで歩く事にした。避難小屋に泊まる手もあったが、とにかく美味しいものとビールを飲みたかった。

山道を下り切ると、広大な農耕地帯に出た。この農耕地帯の景色が素晴らしかった。

なぜ素晴らしく感じたのか。自分でもすぐにはよくわからなかったが、それはこの土地が農耕の為のみに作られた土地だからだという事に気づいた。住居などといった、農耕に関係のないものが近くに一切ない。真っ直ぐ通った一本の道路と、その両側に延々と続く畑があるだけだ。

考えてみると、こういった土地というのも日本には少ないかもしれない。だいたいの土地は農耕地帯と住居がごっちゃになっていたり、住居の中に工場があったりとかする。この前抜けてきた栃木県なんかはほんとにごちゃごちゃしていた。※栃木県の人には悪いが。。

そういえば、月山の上から見た鶴岡〜酒田あたりは、とても土地がスッキリして見えた。もしかするとこの辺りの人達は、場所ごとに役割や目的を決めて、土地を作ってきたのかもしれない。

残念な登山者の事で少し気持ちが落ちていたが、この風景のおかげで一気に気持ちが晴れやかになった。登山者の行列が出来た百名山の景色なんかより、こういった風景のほうが心が穏やかになれるということだ。

そんな素晴らしい景色を、幸せな気持ちで眺めながら歩いていると、軽トラに乗ったおっちゃんに呼び止められた。これを食べて頑張れと、おっちゃんの畑で作っているブルーベリーを2パックもくれた。お礼を言って有り難く頂戴した。素晴らしい農耕風景だけならず、そこで出来た農作物まで頂けるとは。こんな贅沢なことはなかなかない。

その後は、おっちゃんからもらったブルーベリーをつまみながら、鶴岡までスタスタ歩いた。ブルーベリーは粒によって甘かったり酸っぱかったりと色々な味がして、とても楽しく頂く事が出来た。

歩いた距離・31㎞

関連記事